いよいよ最終日ということで、
なんと、いまだに見てなかった(ありえね〜)マシュー・バーニー「拘束のドローイング」展@金沢21世紀美術館、駆け込みの滑り込み。
断片的に見ていた新作映像イメージは、
ビョークの音楽が加わって、最高にすばらしい出来映え。
感動いたしました。
愛の成就といいますか、捕鯨を通底和音にふたりの婚姻を描いたこの作品、
軸となるテーマが王道をいってるせいか、直球で伝わるものがあって、余韻大。
クレマスター・シリーズの、これでもかという古今東西、美の万華鏡状態から、
一転して、日本カルチャーが主に参照されているために、案外見やすいというのもあるのかもしれません。グリーナウェイみたく、キッチュなジャポニズムになってないところが、大変好感をもてました。茶道の所作にしても、バーニーは随分真剣に勉強し、身につけたみたいで、ちょっとした身のこなしが本当に自然でした。(実は自分、過去茶道部員でして・・)
あとで展示室を見てみると、日本的意匠につつまれた自分達のことを「西洋の客人」と称していて、その一歩ひいた目線の距離感が意外にもいいなと。
拘束のドローイングというのは、初期からの、ロック・クライミング状態で身体を様々な器具で拘束しつつ線を描くシリーズの総称だと、展示内容を見るとわかってくる。あれほど話題となったクレマスター関連の展示はなく、80年代後半のストイックな実験的パフォーマンスからはじまり、93年に話題を呼んだ、戯れるサチュロスのヘンテコお茶目なビデオなど、「そうかー、あれも拘束のドローイングだったのね!」という、過去の要所要所の代表作が並んでいる。
精神的、知的体験であるインナーワールドの世界観を究極に掘り下げたのがクレマスターだとすれば、拘束のドローイングは、自分の身体的リアリティを現実世界でどれだけ明確につかめるか、という実験でもあるようだ。そのふたつのシリーズは、表裏一体、お互いがからみあいながら、マシュー・バーニーという人の世界をより強固に形作っている。
けれど、今回見た拘束のドローイング9が、展示で示されたフィジカルな世界観にもとづくものだと一瞬で納得いくかといえばそうでもなく、美や知のバロックと肉体の快楽が同じくらいのバランスでかみあっているようにも見えるのが興味深い。そういう意味では、ふたつの螺旋状に続く方向性が、ビョークの登場によって劇的に融合した結果、今回の映像作品が生まれたのかなー、とか。
(見てないと、まったくわからん解説ですがー)
映像があまりにいいので、展示は、過去作品以外の新作のあたりが、少し密度薄いかなーとか思うことも。
でも、婚儀の茶事〜浸水する中で互いの肉をはむ〜そして、ふたりは鯨に!?
という流れは、やっぱり相当後にひく設定です。
ネッチョリ、ネトーッとしたあのマニアックなマテリアル・フェチは健在ですしね。
これでようやく記事とか論文とか楽しんで読めるよー。
わーい!(て、おそすぎ!?)